そんなわけでガイ・フォークス・デーって何やねん的なことを一日遅れでちょっと書いてみようかなと思います。
え?そんなん興味ないって?
日記のネタがねぇんだよ♪(にっこり)
というわけで以下テキトーに色々書いてみるよ(やる気出せ)
1600年ぐらいの話なんですが、この頃イングランドでは、国王ジェームズ1世の政策によって、カトリック教徒は弾圧を受けていたんですね。
これに反発したロバート・ケイツビーという人が、ジェームズ1世が上院の開院式に出席したところを爆殺する計画を目論んで協力者を探していました。
つまりこのケイツビーが首謀者なわけです。
この時、熱心なカトリック教徒であり、かつ従軍経験のあるフォークスが彼の目に留まった、という事ですね。
他にもロバート・ケイツビー、ジョン・ライト、トマス・ウィンター、トマス・パーシーという仲間もいます。
フォークスはパーシーの使用人ジョン・ジョンソンを名乗って行動したそうです。
そしてパーシーが借りた家の管理を任されたフォークスは、そこからウェストミンスター宮殿内の議場地下までのトンネル掘削を行いました。
んな無茶な、と思わずにはいられません(爆)
しかしこの計画は結局放棄され、彼らは議場地下の石炭貯蔵室を借りることにしたそうで。
やはり掘り進むのは無理だと悟ったんでしょうか…。
そしてフォークスはパーシーと共に、この地下室を火薬の樽で満たしたという事です。
そしていよいよ爆破計画の実行が近付いた頃、「議会の開院式への出席は危険である」と警告する匿名の手紙がウィリアム・パーカーという人の元に届けられました。
カトリックの議員まで巻き込んでしまう事に疑問を持った誰かが、情報を漏らしたのではないかという話もあります。
これを知ったケイツビーらの間で懸念が噴出したが、手紙の内容が抽象的であったこと、また火薬に荒らされた形跡がなかったことから、計画の続行を決意しました。
フォークスは火薬の見張りと点火の任を帯びて地下に籠る事に。
しかし11月5日未明、治安判事であるトマス・ナイヴェットらの捜索によりフォークスは逮捕されてしまい、計画は失敗に終わりました。
そしてこの日、国王が死なずに済んだ事を祝うためにガイ・フォークス・デーが行われるようになったとか。
その日にはガイ・フォークスを表す人形を子供たちが曳き回し、最後には焚き火に投げ入れられて燃やされます。
伝統的に、11月5日が近付くと子供たちが自作のガイ人形を持って近所を回り
「A penny for the Guy!(ガイに1ペニー頂戴!)」
と言って祭りに備えるお金を募ったそうですが、その風習は廃れ、今日では僅かに一部の地域でしか見られないとか。
現在では、主に焚き火と打ち上げ花火を楽しむ行事となってるみたいですね。
ちなみに、地方によってはフォークスが「国王暗殺を企んだ悪人」だったり「自由を求めて戦った英雄」であったりするそうです。なるほどね~。
ちなみに捕まったフォークスは
11月5日早朝、国王の寝室に連行され尋問を受けました。
彼は「トマス・パーシーの使用人ジョンソン」という嘘の肩書きを語った他はいかなる情報の提供も拒否しましたが、拷問の結果、自らの本名と陰謀に関わった者の名を自白したそうです。
彼に対する裁判はウェストミンスター・ホールで行われましたが、有罪の評決が下されることは初めから決定済みであったとか。
国王殺そうとしたんですから、それも仕方なかったのかもしれません。
そして国王に対する大逆罪を犯した、貴族でない男性にのみ執行される極刑に処せられたわけです。
ひぃ、恐ろしい…!(ガクブル)
しかもフォークスは、それまでに首謀者と疑われて受けた苛烈を極める拷問と病で衰弱していて、死刑執行人の手を借りなければ絞首台にも登れない程だったといいます。
首を吊られた時点で衰弱の為に絶命してしまったらしい、という事も記録として残っているそうで…。
ちなみに絞首刑じゃありませんよ。
通常ならば首を吊った後、死ぬ前に縄を切ってその後いろいろするんです…そう、いろいろと。
この時点で死んだフォークスは、ある意味で良かったのかも知れません…しかしそれだけ弱るほどの拷問って…!
うぅぅ、死してなお火に投げ入れられるフォークスが不憫でならないよ…(涙)
ちなみに男とか意味する英語の「guy」は、この人の名前が由来だそうです。
すげーな。
Please to remember
The Fifth of November,
Gunpowder treason and plot
I see no reason
Why gunpowder treason
Should ever be forgot.
【マザー・グースより】
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